大喰岳(3,101m)、中岳(3,084m)、南岳(3,033m) |
2007年10月6日(土)〜7日(日) 長野県と岐阜県の県境に聳える槍ヶ岳(3,180m)、大喰岳(3,101m)、 中岳(3,084m)、南岳(3,033m)に登った。 1日目は新穂高温泉駐車場に車を停めて蒲田川右俣谷を歩き槍平小屋より飛騨沢より飛騨乗越へ出て 槍ヶ岳山荘まで歩いた。 2日目は槍ヶ岳山荘より大喰岳、中岳、南岳、南岳小屋より南岳新道を下山し槍平小屋まで戻り右俣谷を 新穂高温泉まで下った。 今回は3,000m峰を三座も歩き、天気は快晴で北アルプスを満喫できた素晴らしい山歩きでした。 |
コース (6日):新穂高温泉〜穂高平避難小屋〜白出沢出合〜滝谷出合〜槍平小屋〜槍ヶ岳小屋〜槍ヶ岳 (7日):槍ヶ岳小屋〜大喰岳〜中岳〜南岳〜南岳小屋〜槍平小屋〜穂高平避難小屋〜新穂高温泉 |
2日目 |
![]() 槍ヶ岳の日の出 |
![]() 穂高岳方面の眺め |
![]() 常念小屋の真上に日が登ります |
![]() 常念岳の容姿に見とれました |
![]() 手前は殺生ヒユッテ |
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![]() テン場から大喰岳へ |
![]() 西鎌尾根と三俣蓮華岳、黒部五郎岳 |
![]() 槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘 |
![]() 槍ヶ岳山荘と裏銀座 |
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![]() 笠ケ岳(2,898m) |
![]() 中岳へ その向こうには北穂高岳 |
![]() 中岳への登りと残雪 |
![]() 中岳山頂 |
![]() 中岳より槍ヶ岳 |
![]() 歩いてきた稜線 |
![]() いつも眺められる笠ケ岳 |
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![]() 笠ケ岳と白山 |
![]() 中岳の下り |
![]() 天空への登山道 |
![]() 岩場の登り |
![]() 常念岳 |
![]() 槍ヶ岳 |
![]() 天狗原 |
![]() 天狗原と槍ヶ岳 |
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![]() 北穂高岳へのキレット |
![]() 北穂高岳の北壁 |
![]() いつかはキレットを越えて・・・・ |
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![]() 南岳小屋と登山道 |
![]() 南岳新道の西尾根より北穂高岳方面 |
![]() 笠ケ岳 |
![]() 西尾根の下山道と蒲田川の槍平小屋 |
![]() 北穂高岳方面 |
![]() ハイマツの下山道 |
![]() 飛騨沢の紅葉 |
![]() 南沢の紅葉 |
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![]() 新穂高ロープウェイ |
![]() 新穂高温泉 |
前回(2001年9月)は名古屋に単身赴任していた際に上高地より槍ヶ岳に登った。 あの時は、9時間ほど歩き槍ヶ岳山荘に着いたのは5時前で、クタクタになった記憶があります。 小屋で仮眠した後に、生ビール中ジョッキを持ってテラスに出た時の絶景は忘れることができません。 槍ヶ岳より眺めた夕日は今も目に焼きついてます。 今回も天気は快晴でした。 新穂高温泉より8時間弱、自分のペースで歩いたこともあり、前回のような疲れはありませんでした。 槍ヶ岳山荘も改善され綺麗になり、テラスからの眺めは前回と同様、最高の気持ちになれました。 やっぱり、自分の力で登った者しか味わえない素晴らしいものでした。 今回は槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳と縦走し下山しましたが、次回は北穂高岳、奥穂高岳へと縦走し できれば西穂高岳まで縦走できたらいいなと思ってます。 |
<山のコラム> 播隆上人による前人未踏の槍ヶ岳開山 前人未踏の鋭鋒・槍ヶ岳は、文政11年(1828年)、播隆上人によって開山された。 播隆は天明6年(1786年)に越中の河内村(現富山県大内町河内)に生まれ、生涯のほとんどを苦行僧として過ごした。 深山幽谷での修行に入った播隆は、先に飛騨の霊峰・笠ケ岳開山の折、天を突く槍ヶ岳を望見して、開山への宿願 を抱く。文政9年(1826年)には案内役の中田又重郎の協力を得て、現在の槍ヶ岳山荘の地点まで試登。 その2年後の7月20日、槍の絶頂に仏像と祠を安置し、宿願を果たした。 その後、数回に渡って登頂した播隆上人は、続く登山者の安全を図るため鎖の設置に尽力し、天保11年(1840年)に 槍の穂先に鎖が架けられ、大願成就した。 播隆上人の苦闘は、新田次郎の「槍ヶ岳開山」に描かれ、松本駅前には播隆上人像が建てられている。 |