金峰〔きんぷ〕(2,599m)  瑞牆〔みずがき〕(2,230m)



  

2007年5月4日(金)「みどりの日」に金峰山(山梨県・長野県)と瑞牆山(山梨県)に登った。

「みどりの日」とは、
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ国民の祝日

元々は昭和天皇の誕生日である4月29日で、昭和天皇が生物学者であり自然を愛したことから1989(平成元)年より「みどりの日」という祝日とされた。
2007(平成19)年より4月29日は「昭和の日」となり、みどりの日は5月4日に移動された。

このコースは通常、一泊二日の行程ですが日帰りで行ってきました。

天候は快晴。
金峰山はまだ残雪がありましたが、午後も雲が少なく遠望を楽しむことができました。





コース : 

瑞牆山荘 〜 富士見平 〜 大日小屋 〜 金峰山山頂 〜 金峰山小屋 〜 富士見平 〜 天鳥川 〜 瑞牆山山頂 〜 富士見平 〜 瑞牆山荘

      







6:20 金山峠にある瑞牆山荘よりミズナラ、カラマツの自然林の中を登った。

6:55 富士見平には富士見平小屋があり金峰山との分岐になる。      

 
瑞牆山荘
富士見平





7:45 大日小屋

右の写真は下山時(12:35)撮影、素通りしました。

大日小屋
大日小屋





  
シャクナゲの多い登山道

登山道





大日岩の下あたりから眺められる南アルプスの鳳凰山と北岳、八ケ岳

南アルプス
八ヶ岳





8:20 大日岩の分岐。

右の写真は下山時(12:00)に撮影した大日岩の上部

大日岩
大日岩





大日岩より残雪の登山道となりアイゼンを付けて登った。
沢山の踏み跡があり迷うことは無かった。

 
登山道





9:15 千代の吹き上げ手前あたりからの金峰山の山頂。
 瑞牆山と八ヶ岳の大展望。

金峰山
八ヶ岳





9:30 金峰山の山頂と金峰山小屋への分岐。

積雪は1mほど?
この日は天気が良いのでかなり雪解けするだろうと小屋の人が言ってました。

金峰山





金峰山の山頂へあと少し、金峰山のシンボル五丈石の上に人が! 手を振ってました。

金峰山
五丈岩





10:00  金峰山(2,599m)の山頂。

後方には雪を被った八ヶ岳の絶景です。

五丈石の上にどうやって登ったのか?
とても自分には登れません。

金峰山
金峰山
五丈岩
金峰山





10:30 金峰山小屋に向かって下る。
小屋は思ったより綺麗、小屋の人は忙しく働いてました。

11:00 小屋より下山開始

金峰山小屋
金峰山小屋





下山時に写した千代の吹上げと南アルプス

 
千代の吹上げ





13:10 富士見平に到着

ここから瑞牆山へ登るため天鳥川に向かって北側の登山道を下ります

富士見平









13:40 天鳥川を渡り桃太郎岩へ

巨石が二つに割れている桃太郎岩、登山者と比べるといかに巨石か分かります。

桃太郎岩
桃太郎岩





14:50  瑞牆山(2,230m)の山頂

天鳥川からシャクナゲの急な登山道をひたすら登ると小さいコルに出ます
コルより瑞牆山の北側へ回り込みさらに急登を過ぎると巨大な一枚岩の山頂です

瑞牆山
瑞牆山





山頂からの展望

南アルプスの展望(左上)、大ヤスリ岩と呼ばれる花崗岩の巨大な岩(右上)
瑞牆山から眺めた金峰山

瑞牆山
瑞牆山
瑞牆山より金峰山
瑞牆山より金峰山





16:00 天鳥川

川の横にベンチがあり休憩、桃太郎岩が右手に見えます
樹林の中から写した瑞牆山の全容

天鳥川
瑞牆山





16:55  瑞牆山荘

朝6:20より登りこの時間に下山、
10時間35分と長い山歩きでした

この後は武田信玄ゆかりの増富の湯に浸かり疲れを癒した

瑞牆山荘






【増富の湯】

武田信玄が金を掘らせていた時に発見されたと伝わる増富ラジウム温泉郷にある町営の日帰り温泉施設。
浴室は広く、溶解成分の多い赤褐色をした炭酸水素塩泉の源泉風呂、薬湯、プールのような大風呂、サウナ、ジャクジーなどがある。










<山のコラム>

【金峰山】
金峰山は山頂に蔵王権現を祭り、修験道のメッカとして尊ばれた信仰の山である。
山頂付近に屹立する五丈石の岩陰からは、かって鏡、刀剣など修験道に由来する遺物が発見され、
古い物は平安時代の物まで含まれていた。
山梨、長野県境に位置し広大で豊かな樹林帯を擁する金峰山は、千曲川、荒川の水源でもあり
奥秩父の盟主と呼ぶにふさわしい山である。

瑞牆山
瑞牆山とは難読山名の代表である。
甲斐の基本的史料として1814年に編纂が完了した「甲斐国志」には「子産岩」(こうぶいわ)の名が見つかる
もともと地元では花崗岩の岩峰が林立する山容を指して「瘤岩」(こぶいわ)と呼んでいた。
それに子産岩の字をあてたと考えられる。
また、「甲斐国志」には「瑞塁」(みずがき)との記述もある。
これは東に接する金峰山から眺めた景観と思われ、金峰山へ登ると北西へ延びる尾根の端に、岩か城壁の
ような姿で瑞牆山が聳えるのである。
明治38年(1905)当時の山梨県知事の武田千代三郎が瑞牆の字をあてたとされ現在の山名に定着したと言う。









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