涸沢岳 (3,103m) 北穂高岳(3,106m) |
2004年10月10(日)〜12日(火) 長野・岐阜県境に聳える日本アルプス南部の涸沢岳と北穂高岳に登った。
穂高岳は北アルプス最高峰で日本第3位の標高を誇る「奥穂高岳」や「西穂高岳」「前穂高岳」「明神岳」「涸沢岳」「北穂高岳」などからなる穂高連峰の総称です。
穂高岳には2001年10月に北穂高岳、2002年10月に奥穂高岳と登っている。
2年振りの穂高岳、涸沢カールの紅葉を楽しみにしていたが今年は既に通り過ぎていたようだ。
今回は穂高岳の中で山頂に立っていない涸沢岳に登ることにした。
コース :
10日:上高地 〜 明神 〜 徳沢 〜 横尾 〜 本谷橋 〜 涸沢ヒュッテ
11日:涸沢ヒュッテ 〜 涸沢小屋 〜 南稜を登る 〜 北穂高岳 〜 涸沢槍 〜 涸沢岳 〜 奥穂高山荘 〜 涸沢ヒュッテ
12日:涸沢ヒュッテ 〜 本谷橋 〜 横尾 〜 徳沢 〜明神 〜 上高地
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1日目
台風が通り過ぎた10日の早朝に沢渡(さわんど)の村営第一駐車場に車を停めて、シャトルバスに乗り換える。
上高地までは約30分、一般の観光客に混じり大きなリュックを担ぎバスに乗りこんだ。
上高地(7:00)連休なので凄い人出だ。
朝食のおにぎりをほおばりながら梓川沿いをゆっくり歩いた。
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7:10 河童橋
早朝なのに観光客が沢山いた
奥穂高岳方面はガスがかかっていたが、
観光客も盛んに写真を撮っていた。
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09:10 徳沢
10:20 横尾
徳沢は芝生の広がるキャンプ場。
梓川の向こうには、井上靖の小説「氷壁」の舞台となった前穂高岳の東壁が
その全容を見せている
横尾は槍ヶ岳、蝶ケ岳、涸沢への道が分かれている。
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11:40 屏風岩
台風の影響で水量が多いのか屏風岩の割れ目が滝になっていた。
下山の際には水は流れていなかった
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11:50 本谷橋
橋を渡った右岸で皆、休憩していた。この付近の紅葉は素晴らしかった。
涸沢カールに着く頃から雨がポツポツ降り出した。
涸沢ヒュッテでビールと酒を飲みながら、名物のおでんを食べてゆっくり過ごした。
この日の夜空は星が満天に輝いていた、明日は晴れると思い爆睡したが・・・・
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2日目
朝起きると空一面の雲、今日の天気は曇りらしい、穂高岳に登ろうか迷ったが、
曇りだったらいつか晴れるだろうと期待して登り始める。
8:05 涸沢小屋
小屋で水を補給してその横の登山道を登る
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南稜の長い鎖場は雨に濡れて滑りやすい。
急な梯子も滑りやすい。
あたり一面ガスで何も見えない、
景色が見えないのとは反対に梯子の恐怖もなかった
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10:30 北穂高岳山頂
今回はガスで何も見えず(;_;)
北穂高小屋で昼食、メニューは牛丼、ラーメン、スパゲティなど
ラーメンとビールを注文する。クラッシック音楽が流れる小じんまりした山小屋だ。
こんな静かな山小屋で一晩ゆっくり泊まって星空を眺めたら最高やろうなぁ〜
なんて考えながら1時間ほど過ごした。
僕の横では単独の外人さんが「妻へのお土産に〜」ってTシャツを買ってたよ
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11:40 吊り尾根
涸沢岳への岩稜の始まり、岩にはやたらと×や○や→表示
視界が悪いので恐怖感はない。どんどん進んで行く。
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梯子・クサリ場の連続!
次第に足が上がらなくなりそうだ。
途中2回ほど休憩しながら、通過していく。
天気がいいと素晴らしい眺めなんやろなぁ・・・・
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13:30 涸沢岳山頂
北穂高岳から1時間40分程で涸沢岳の山頂に立った。
相変わらずガスで視界ゼロ(;_;)
数枚写真を撮って穂高岳山荘に下る。
時間があるのでここでまたビール!
ストーブもあり湿気の残るズボンを乾かした。
これからはザイテングラートを下るのみだ!
下山途中に見晴岩の上に立った。
ガスが次第に晴れてきて涸沢カールが一望できる。
涸沢ヒュッテに到着したらガスは穂高の山頂に少し残るのみとなつていた。
運のない1日やったなぁ〜っとビールをしこたま呑んだ!
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3日目
6:00 目が覚めたらご覧の通り快晴!
今日は上高地に下山して帰るのみ
筋肉痛の重たい足を引きずって下山した・・・
6:30 涸沢カール
毎年、紅葉は早くなってるのかな?
来年は9月下旬に来ようかな・・・
宿泊はもちろんクラッシックが流れ、
食事の食器は全て陶器で出される北穂高山荘!
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ナナカマドの紅葉と青空の東稜が綺麗です。
こんな景色を見るとまた来たくなります。
何度通っても飽きない涸沢カールと穂高岳です。
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涸沢カールのパノラマ写真
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16:00 さわんど温泉 梓湖畔の湯
3日分の体の垢を洗い落とし、さっぱりしました。
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【山のコラム】 <ガイドブックより>
飛騨山脈を日本アルプスと最初に呼んだのは、明治10年(1877)に槍ヶ岳に登頂した英国人技師、ウイリアム・ガウランドである。
彼は槍ヶ岳登山とともに日本の旅を『日本旅行記』にまとめている。
その後、明治24年(1891)に英国人宣教師のウォルター・ウェストンが徳本峠(とくごうとうげ)を越えて上高地を訪れる。
ウェストンは翌年、上條嘉門次の案内で槍ヶ岳に、翌々年には穂高岳(現在の奥穂高岳)に登頂し、帰国後、ロンドンで『日本アルプスの登山と探険』を出版した。
こうしてガウランドが名付けた日本アルプスがウェストンの登山記によって世界に知れ渡り、古来からの信仰登山とは別の日本の近代登山幕開けのきっかけとなった。
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