JR左沢駅 (2010.07.24) |
左沢線(あてらざわせん)は、奥羽本線北山形駅から果樹園が広がる山形盆地をまわりこむように走り、左沢駅に至るJR東日本のローカル線(地方交通線)である。 沿線では、さくらんぼや洋梨といった果物の生産が盛んなことより、フルーツライン左沢線という愛称が付けられている。 難読な駅は多いが、難読な路線名は珍しい。最上川船運の要衝の一つとなっていた左沢は、寒河江城から見て左側(西側)にあり、『あちらの沢』の訛ったものが紹介され『あてら沢』となったようだ。漢字はそのまま『左』が当てられた。 左沢線の歴史は、軽便鉄道法により左沢軽便線が大正10(1921)年7月20日、山形-羽前長崎間が開業したのにはじまる。 同年12月11日寒河江まで、翌大正11(1922)年4月23日左沢まで延伸し全通した。同年9月2日、軽便鉄道法廃止により山形-左沢間が国鉄左沢線となった。 大正11(1922)年4月11日公布された改正鉄道敷設法では、左沢から最上川に沿って南下、長井線(現;山形鉄道フラワー長井線)の荒砥を結ぶ延長線と、寒河江から奥羽本線の楯岡(現;村山駅)までを結ぶ分岐線が計画されていたが、いずれも実現しなかった。 昭和2(1927)年9月11日、北山形駅に奥羽本線の列車が停車を開始したことより、山形-北山形間で二重戸籍状態が発生した。 昭和62(1987)年4月1日、JR東日本に移管された際(国鉄分割民営化時の基本計画で)北山形-左沢間が左沢線となり、二重戸籍が改称された。 軽便鉄道時代からの名残で、全ての列車が山形を発着する。 奥羽本線に乗入れる際は、山形-北山形間は軌間1435mm(標準軌)の山形新幹線の路線とは別に、(仙山線と共用する)独立した単線を使用する。 長井線が第三セクターの山形鉄道になったように、左沢線が第三セクターに転換するか廃止にならなかったのは、途中に「さくらんぼ」で有名な寒河江市などがあったことが考えられる。 しかし、並行して走る山形自動車道が、平成元(1989)年から平成11(1999)年にかけて完成したので、左沢線の存続が危ぶまれるようになってきた。 だが、フルーツライン左沢線という愛称が付けれたことにはじまり、観光シーズンにはトロッコ列車「風っこ」号が運行されるなど、結構な集客力を持つイベントが年に何回か行われる。 また南寒河江駅や羽前長崎駅の周辺には温泉があることなど、左沢線の今は楽しいものになっている。 |
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